プロローグ ―― 20年経って覚えているのは、景色ではありませんでした
若いころ、バックパッカーとして何度も旅をしました。一度は、7ヶ月のあいだ続けて旅をしていたこともあります。
宿を決めずに移動して、安い食堂で腹を満たし、乗り合いの乗り物に揺られて次の街へ行く。そんな旅を繰り返していました。あのころ見たものは、たくさんあります。写真も、記憶も、それなりに残っています。
ところが、です。あれから長い時間が経って、今でも折に触れて思い出し、これからも大切にしたいと思うのは、建物や風景ではありませんでした。
旅行中に出会った人たちなのです。
名前も覚えていない人がいます。一度しか会っていない人がほとんどです。連絡が取れる人は、ごくわずかです。それなのに、その人たちと過ごした数時間のことを、今でもはっきり思い出せます。むしろ、有名な建物を見たときの感動よりも、鮮明に残っているのです。
これは、私だけの感覚ではないのかもしれません。旅行から帰った方の話を聞いていると、観光地の名前よりも、「現地の人がこんなことをしてくれた」という話のほうが、生き生きと語られることがあります。人の記憶は、どうやら風景よりも人に強く引っかかるようにできているのではないか。そんなことを、最近よく考えます。
この記事では、まず私自身の旅の記憶をたどりながら、「なぜ人の思い出だけが残るのか」を考えてみたいと思います。そのうえで、私が今住んでいるベトナムという国の話に移ります。実はベトナムの人たちに「外国人に知ってほしいベトナムの良さ」を聞くと、しばしば返ってくる答えがあるのです。それが何なのか、そしてなぜそうなるのか。最後に、旅行者がそういう体験をするための具体的な方法まで書きます。
ホーチミンに住んで14年ほどになります。1998年に旅行者として初めてベトナムを訪れてから、この国とは30年近い付き合いになりました。その間ずっと旅行の仕事に関わってきた立場から、少し長くなりますが、書いてみたいと思います。
ひとつ先にお伝えしておくと、この記事の後半は、私たちが今取り組んでいる考え方の話にもつながっていきます。旅先の人を、風景の一部ではなく一人の登場人物として扱いたい。そういう方針を掲げているのですが、その出発点は、ここに書く個人的な記憶にあります。ですから、まずは昔話から始めさせてください。
第1章 それでも、忘れられない景色と味はあります
人の話をする前に、あえて先に、人ではない記憶について書いておきたいと思います。そちらも、確かに素晴らしかったからです。
建物でいえば、チベットのポタラ宮が強く残っています。高地の薄い空気の中で、白と赤の巨大な建物が丘の上にそびえている。あの圧倒的な存在感は、写真で見るのとはまったく別のものでした。
ポタラ宮で印象的だったのはバター茶を入れてくれたお坊さんたちだった
ウズベキスタンのサマルカンド、レギスタン広場で見たシェルドル・メドレセは、さらに強く残っています。モスクだと思われがちですが、メドレセというのは神学校のことです。高校の世界史の資料集に載っていた写真を、そのまま目の前にしたからです。乾いた土色の街の中に、突然あの青が現れる。知識として知っていたはずのものが、実物として目の前にある。その感覚が不思議で、私は1時間ほど、その前に座っていました。それでも、飽きることはありませんでした。
バルセロナのサグラダファミリアも、やはり特別でした。いつまでも完成しない建築、という前提知識を持って訪れても、実際に目にしたときの異様さは、予想を超えていました。
自然もたくさん見ました。同じチベットで訪れたエベレストベースキャンプも、忘れられない場所のひとつです。当時、チベット側のベースキャンプは、車で行くことができました。あれだけの山を前にしながら、自分の足で登らずにたどり着けてしまう。緑のない、岩と氷だけの世界が目の前に広がっていました。
パキスタンのフンザは、私が見た中でもとりわけ美しい場所でした。切り立った山々に囲まれた谷に、段々畑と果樹があり、人が静かに暮らしている。風景としての完成度が、ほとんど出来すぎているように感じられました。
風の谷、ともいわれるフンザ。天気が良かったのに川が氷くらい冷たかった
海もあります。沖縄の海の透明さ、タイのタオ島の海の色。暑い中で水に入った瞬間の感覚まで、思い出すことができます。
食べ物もそうです。インドでは毎日カレーを食べていました。毎日です。それでも飽きなかったのは、店ごと、地域ごとに、まったく違うものが出てきたからでした。イタリアのヴェネツィアで食べたラザニアは、今でも「あれが人生でいちばんのラザニアだった」と思っています。水の街の、どこの店だったかもう分かりませんが、味の記憶だけが残っています。
こうして並べてみると、ずいぶん贅沢な経験をさせてもらったのだなと思います。これらの記憶には、確かな価値があります。見てよかった、食べてよかったと、心から思います。
誤解されたくないので、はっきり書いておきます。私は「名所を見るのは意味がない」と言いたいのではありません。むしろ逆です。見るべきものは見たほうがいいと思っています。実際に自分の目で見ないと分からないことは、たくさんあります。資料集の写真で何度も見ていたはずのシェルドル・メドレセが、目の前にするとまったく別のものだったように、現物には現物の力があります。
ですから、この記事は「観光地より人」という優劣の話ではありません。ただ、記憶の残り方が違う、という話をしたいのです。
それでも、です。
これらの記憶には、ひとつの共通点があります。それは、誰が行っても、だいたい同じものが得られるということです。
ポタラ宮は、私が見たあの日も、別の誰かが見た日も、同じ場所に同じように建っています。サマルカンドの青は、来年訪れる人にも同じ青を見せるでしょう。フンザの谷も、タオ島の海も、そこにあり続けます。ヴェネツィアのラザニアは、同じ店に行けば、似たものが食べられるかもしれません。
もちろん、同じものを見ても感じ方は人それぞれです。それは分かっています。ただ、「経験そのものの中身」という意味では、これらは交換可能なのです。私の代わりに誰かがそこに立っても、ほぼ同じ景色が見られる。
次の章で書く記憶は、そうではありませんでした。
第2章 思い出すのは、やはり人でした
ここからが、この記事でいちばん書きたかったことです。何度も思い出し、これからも大切にしたいと思っている出会いを、四つ書きます。
ひとつ目は、ラオスの山奥での話です。
当時、私は街から街へ、乗り合いのピックアップトラックで移動していました。荷台に客を乗せて走る地方の交通手段です。見知らぬ人たちと荷台で肩を寄せ合い、揺られながら進んでいきます。
その荷台に、たまたま一緒に乗っていたお兄さんがいました。会話が始まったきっかけは、もう覚えていません。お互いに拙い英語で、単語を並べるような会話をしていました。どこから来たのか、どこへ行くのか。文法も発音もあやしい、けれど何とか通じる程度のやり取りです。
しばらくそうしていたら、彼がこう言いました。うちに来い、と。
聞けば、彼の兄弟が結婚するところで、その家に行くという話でした。そして、よかったら一緒に来い、と誘ってくれたのです。
荷台で少し話しただけの外国人を、家族の結婚式に招く。その判断の速さと、ためらいのなさに、私は驚きました。日本で同じことができるだろうかと、あとになって何度も考えました。そして、お邪魔しました。断る理由が、特に見つからなかったからです。
山奥の村での結婚のお祝いです。言葉はほとんど通じません。私は何の役にも立ちませんし、誰も私のことを知りません。来客として紹介されるわけでもなく、ただその場に混ざっているだけです。それでも、そこにいることを誰も不思議がりませんでした。あの日のことを、私は20年以上経っても覚えています。ピックアップトラックの荷台で揺られていた時間と、彼の「うちに来い」という言葉が、セットで記憶に残っています。
ふたつ目は、ネパールでの話です。
そのとき私は、旅先で知り合ったマレーシア人と一緒に旅行していました。彼が、ネパールに住んでいる中国人の知り合いを作っていて、その方の自宅に招かれることになったのです。
その会は、ちょっと面白い趣旨でした。それぞれの国の料理を作って持ち寄る国際交流料理会のようなものです。まず全員でローカルの市場に行き、食材を買い込みます。何が売っているか分からない市場で、自分の国の料理に使えそうなものを探す。これがすでに楽しい作業でした。
そして、台所で各国の料理が同時に作られていきます。私が作ったのは、コロッケ、お好み焼き、焼き茄子でした。限られた食材で日本の家庭料理を再現しようとすると、意外と工夫が必要になります。中国の方、マレーシアの方が作るものも、それぞれまったく違いました。
出身の違う人間が、ネパールの市場の食材で、それぞれの国の料理を作って一緒に食べる。あの日の台所の混雑と、できあがった料理が並んだ食卓のことを、よく思い出します。観光は一切していません。ただ、買い物をして、料理をして、食べただけです。それでも、あの日はあの旅でいちばん記憶に残った日のひとつになりました。
今になって思うと、この日の構図は少し不思議です。日本人の私と、マレーシア人の友人と、ネパールに住む中国人が、ネパールの台所に集まっている。誰もその国の人ではない組み合わせで、ネパールの市場の食材を使っている。旅先というのは、こういう混ざり方が自然に起きる場所なのだと思います。
三つ目は、ホーチミンでの話です。実は、この街との最初の縁も、人でした。
当時、ホーチミンのバックパッカー街といえばデタム通りでした。その通りに、当時よく知られていたシントー(フルーツを使った飲み物)の店がありました。旅行者が集まる店で、私もそこでお茶をしていました。
そのとき、同じテーブルに同席したのが、ベトナム人の若者たちでした。旅行者と地元の若者が自然に混ざるような場所だったのです。話しているうちに仲良くなり、別の日に、彼らの住んでいるところに招いてもらうことになりました。
案内されたのは、合宿所のような、大勢で住んでいる場所でした。そこで、友だちみんなと一緒にお昼をごちそうになりました。何を食べたかよりも、その場の雰囲気のほうを覚えています。全員が若くて、特に何かをするわけでもなく、ただ集まって食べて、笑っている。旅行者である私が一人混ざっていても、誰も気にしていませんでした。観光客を案内するという雰囲気はまるでなく、友だちの一人が増えただけという扱いでした。
今ホーチミンに住んでいて思うのは、あのときの経験が、この街に対する私の第一印象を決めたのだろうということです。観光地を見て「いい街だ」と思ったのではありません。シントーの店で同席した若者たちに招かれたから、この街を好きになったのです。
当時のデタム通りは、今とはずいぶん違う雰囲気でした。安宿と旅行代理店が並び、世界中のバックパッカーが集まり、その中にベトナムの若者も混ざっている。旅行者と地元の人の境界が、今よりも曖昧だったように思います。あの通りの空気が、私とホーチミンを結びつけてくれました。
四つ目は、インドでの話です。これは、少し性質の違う思い出です。
パキスタンの国境に近い街のホテルに泊まっていました。あるとき、フロントのおじさんが、何かをしているのを見かけました。シーク教の方のターバンを、巻き直す手伝いをしていたのです。
ターバンというのは、長い布を頭に巻いていくもので、一人で巻くには手間がかかります。誰かが布の端を持っていると、ずいぶん楽になるようでした。フロントのおじさんが端を持ち、もう一人のおじさんも手を添えています。
その様子が面白くて、私は興味本位で、手伝いに加わりました。言葉もよく通じないまま、布の端を持って、巻かれていくのを眺めていました。
そのやり取りの中で、分かったことがあります。フロントのおじさんはイスラム教徒で、ターバンを巻いていた方はシーク教徒、そして一緒に手伝っていたおじさんはヒンドゥー教徒だったのです。
三人は、特にそのことを話題にもしていませんでした。ただ、じゃれ合うように、冗談を言い合いながらターバンを巻いていました。宗教の違いが、その場で何の意味も持っていなかったのです。
インドや周辺地域の宗教に関する難しい話は、私が知識として語れることではありません。ニュースで伝わってくる話も知っています。それでも、あのホテルのロビーで見た光景は、私の中に別の事実として残りました。あの三人の仲の良さは、どう見ても本物でした。ニュースで語られる大きな話と、目の前のロビーで起きていることは、別のものとして存在しうるのだと知りました。
この四つに共通しているのは、どれも観光ではないということです。有名な場所に行ったわけでも、特別なものを食べたわけでもありません。荷台で話した。市場で買い物をして料理をした。同席した。ターバンを巻くのを手伝った。それだけです。
それだけのことが、何十年も残っています。
もうひとつ共通点があります。どれも、自分で計画したことではないという点です。
ガイドブックに「ラオスで結婚式に招かれよう」とは書いてありません。私はラオスで結婚式に行くつもりなど、まったくありませんでした。ネパールでコロッケを作る予定もありませんでした。デタム通りでシントーを飲んだのは、ただ暑かったからです。ターバンを巻くのを手伝ったのは、たまたまそこを通りかかったからです。
つまり、これらはすべて計画の外で起きました。旅程表に書けるものではなく、書こうとしても書けないものです。旅行の準備というのは、普通は計画を詰めていく作業です。ところが、いちばん記憶に残るものは、計画の隙間に入り込んできたのです。
このことは、旅の組み立て方について、何かを示唆しているように思います。予定を詰めすぎると、隙間がなくなります。隙間がなければ、計画外のことは起こりません。あのとき私は、時間だけはたっぷり持っていました。だから荷台のお兄さんについていけたのです。もし翌日の飛行機が決まっていたら、私は断っていたでしょう。
家族旅行でホームステイをした思い出は、何回でも写真を見返せる
第3章 なぜ人の記憶だけが、こんなに残るのか
この違いは何なのだろう、と考えてきました。ポタラ宮の記憶と、ラオスのピックアップトラックのお兄さんの記憶。どちらも大切なのに、後者のほうが明らかに手触りが濃いのです。
私なりの答えは、こうです。人との出会いだけが、自分だけの経験になるからです。
第1章の最後で書いたとおり、建物や景色、料理は、誰が行っても近いものが得られます。もちろん天候や季節で変わりますし、感じ方も人それぞれです。それでも、交換可能な部分が大きい。
人との出会いは違います。あのラオスのお兄さんが、あの日あの荷台に乗っていて、たまたま私の隣に座り、拙い英語で会話が成立し、そして「うちに来い」と言ってくれた。この連なりは、ほかの誰にも起こりません。私があと一本遅いトラックに乗っていたら、その経験はまるごと存在しなかったのです。
つまり、人との出会いは、再現できません。だから、自分だけのものになります。
そして、自分だけのものだからこそ、記憶の中での扱いが変わるのだと思います。誰かに見せるための記憶ではなく、自分のための記憶になる。だから長く残るのではないでしょうか。
もうひとつ、思うことがあります。人と出会ったとき、旅行者は「見る側」から「関わる側」に変わります。
観光地を訪れているあいだ、私たちは基本的に観客です。見て、写真を撮って、立ち去ります。その土地は舞台で、自分は客席にいます。
ところが、誰かに招かれて家に行った瞬間、立場が変わります。自分がその場の一員になってしまうのです。ターバンの布の端を持っているとき、私は観客ではありませんでした。何の役にも立っていませんが、その場に参加していました。この「参加してしまった」という感覚が、記憶の質を変えるのだと思います。
三つ目に思うのは、人との出会いには物語の形があるということです。
景色の記憶は、基本的に一枚の絵です。ポタラ宮を思い出すとき、頭に浮かぶのは静止した像に近いものです。もちろんそこに至るまでの道のりもありますが、記憶の中心は「見た」という一点にあります。
人との出会いは違います。出会って、何かが起きて、そして別れます。始まりと中間と終わりがあり、予想外の展開が挟まります。荷台で隣に座った。言葉が通じない中で会話が成立した。突然「うちに来い」と言われた。ついていった。知らない村で結婚のお祝いに混ざった。これは一枚の絵ではなく、順番を持った出来事の連なりです。
人は、物語の形をしたものを覚えやすいのだと思います。筋があるから、あとから思い出すときに最初から再生できる。誰かに話すこともできます。実際、私が旅の話をするとき、自然と口に出るのはこうした出会いの話です。景色の話は「きれいだった」で終わってしまいますが、人の話は続きがあるからです。
四つ目に、記憶が自分の変化と結びつくという点があります。
インドのホテルでターバンを巻くのを手伝った話は、私にとって単なる面白い出来事ではありませんでした。あの光景を見る前と後で、私の中にあった何かが少し変わりました。宗教が違う人は対立するものだ、という単純な図式が、あの場で崩れたのです。
景色を見ても、人はそれほど変わりません。美しいものを見て感動はしますが、世界の見え方が変わるほどのことは、そう多くありません。ところが人と接すると、自分の持っていた前提が揺らぐことがあります。その揺らぎが記憶に刻まれるのだと思います。
この話は、今の時代にはいっそう意味を持つようになったと感じています。
今は、行く前にほとんど全部わかってしまいます。検索すれば写真が出てきて、口コミが読めて、動画で現地の様子まで見られる。実際に行ったとき、「知っていたとおりだった」という確認作業になってしまうことも少なくありません。
その中で、事前に調べられないものが、人との出会いです。どの店が美味しいかは調べられますが、その店で誰と話すことになるかは調べられません。そこだけが、まだ完全に予測の外にあります。
情報があふれるほど、予測できない出会いの価値は上がっていく。そう考えると、「旅の思い出は人にある」というのは、懐かしい話ではなく、むしろこれからの旅の話なのかもしれません。
第4章 ベトナムの人たちが挙げる「ベトナムの良さ」
さて、ここからベトナムの話に移ります。
ひとつ、問いを立てさせてください。ベトナムの人たちに「ベトナム旅行をする外国人に知ってほしいベトナムの良さは何ですか」と聞いたら、どんな答えが返ってくると思いますか。
食べ物でしょうか。フォーやバインミーは世界的に知られていますし、以前このメディアでも詳しく書きました。あるいは、自然でしょうか。メコンデルタの水郷、ハロン湾、中部のビーチ、北部の山岳地帯。見どころには事欠きません。歴史や文化という答えもありそうです。
ここで、日本に置き換えてみると分かりやすいかもしれません。日本人に同じ質問をしたら、どうでしょうか。おもてなし、という答えが出てきそうです。マナーの良さ、治安の良さ、時間の正確さ。そういう答えも多いでしょう。もちろん日本食も、世界に誇るべきものだと私は思います。
では、ベトナムの人たちはどうか。
私がこれまでベトナムの人たちと話してきた中で、しばしば返ってくる答えがあります。それは、「ベトナム人の優しさ、親しみやすさ」です。
食べ物や風景ではなく、人を挙げるのです。自分たちの国の良さを問われて、「人」と答える。これは、私には少し意外で、そしてとても興味深いことでした。
もちろん、これは私が接してきた範囲での話であって、統計を取ったわけではありません。聞く相手や文脈によって答えは変わるはずです。ただ、それを踏まえても、「人」という答えがしばしば出てくることには、何か意味があるように思います。
なぜ「人」と答えるのか。想像してみると、いくつか理由が考えられます。
ひとつは、それが本当に自信のある部分だからでしょう。経済的な豊かさや、インフラの整備、歴史的建造物の規模といった点で、ベトナムが世界に対して胸を張りにくい部分があることは、本人たちもよく分かっています。その中で、確実に誇れるものとして人の気質が挙がるのは、自然なことかもしれません。
もうひとつは、外国人との接触の経験から来ているのかもしれません。ベトナムを訪れた外国人が喜んでいたのは何だったか。それを見てきた人なら、「風景よりも、自分たちのふるまいのほうが喜ばれていた」と感じる機会があったはずです。
そして、住んでいる実感として、この答えは的を外していないと感じます。
ベトナムで暮らしていて心が温かくなるのは、たいてい人のふるまいに触れたときです。知らない人が話しかけてくる。困っていると、頼んでいないのに手を出してくる。いい意味でのおせっかいが、日常の中にあります。
たとえば、バイクで何かを落とすと、後ろの人が教えてくれます。子どもを連れて歩いていると、通りがかりの人が子どもに話しかけてきます。店で迷っていると、隣の客が勝手に意見を言ってきます。日本の都市の感覚からすると、距離が近すぎると感じる場面もあるかもしれません。
私はこの距離感を、日本の田舎に住んでいるような感覚に近いと感じています。都会的な匿名性が薄く、人がお互いに関心を持っている。放っておいてくれない代わりに、困ったときは誰かが関わってくれる。そういう社会です。
ただ、ここで急いで付け加えておきたいことがあります。ベトナム人は全員が親切だ、という話をしたいわけではありません。1億人を超える人が住んでいる国ですから、当然いろいろな人がいます。不親切な人もいますし、観光客を狙う人もいます。都市と地方でも違いますし、世代でも違います。
それでも、社会全体として「人との距離が近い」傾向があるのは確かだと感じます。では、なぜそうなるのでしょうか。次の章で、調べたことを含めて考えてみます。
第5章 なぜ、こんなに距離が近いのか
この「距離の近さ」はどこから来るのか。調べてみると、いくつかの説明が見つかりました。私が納得できたものを挙げていきます。
ひとつ目は、言葉のしくみです。これが、いちばん具体的で面白い説明でした。
ベトナム語には、日本語の「あなた」や英語の「you」のように、誰にでも使える中立的な二人称が、日常会話ではあまり使われません。その代わりに何を使うかというと、親族名称です。
年上の男性なら「アン(anh、お兄さん)」、年上の女性なら「チ(chị、お姉さん)」、年下なら「エム(em、弟・妹)」。もっと年上なら「コ(cô、おば)」「チュー(chú、おじ)」「バック(bác、伯父・伯母)」といった呼び方になります。
重要なのは、これが血縁のある相手だけに使われるのではないという点です。まったくの他人に対しても、同じように使います。店の人、タクシーの運転手、道で会った知らない人。すべて「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」と呼ぶのです。しかも、自分のことを指すときも同じで、相手より年上なら自分を「アン」と呼び、年下なら「エム」と呼びます。
つまり、ベトナム語で会話を始めるには、相手との関係を「もし親族だったらどうなるか」に置き換える作業が必要になります。社会を家族の延長として扱う言語を、毎日使っているわけです。
これに関連して、ベトナムでは初対面で年齢を聞かれることがよくあります。日本の感覚だと少し驚くかもしれませんが、これは失礼な質問ではありません。お互いの呼び方を決めるために、どちらが年上なのかを確認する必要があるからです。年齢が分からないと、そもそも会話が始めにくいのです。
この仕組みの面白いところは、日常会話で親族名称が選ばれやすい、という点だと思います。
日本語なら、「お客様」「そちら」「〜さん」といった、相手を家族の枠に入れずに扱う言い方があります。しかも、いくらでもあります。英語の「you」も、関係を規定しません。だから、他人を他人のまま扱うことができます。
ベトナム語にも、tôi(私)や bạn(あなた)といった人称代名詞はあります。ただ、日常の会話では、親族名称のほうが自然に選ばれる場面が多いと言われています。その場合、会話を始める時点で「自分と相手のどちらが兄で、どちらが弟か」を決めることになります。これは、社会のあり方としてなかなか独特だと感じます。
実際に住んでいると、この効果を実感する場面があります。市場で初めて会ったおばさんに「コ(おば)」と呼びかけると、相手の態度がわずかに変わることがあります。ただの客ではなく、親族の呼び方で呼ばれたからです。逆に、こちらが呼び方を間違えて、年上の人を年下扱いしてしまうと、気まずい空気になることもあります。呼び方が、それだけ関係を左右するということです。
言葉が人の意識を作るのか、意識が言葉を作るのかは、私には判断できません。ただ、他人を「お兄さん」と呼ぶ習慣の中で暮らしていれば、他人との距離は近くなりやすいだろう、という推測は成り立つように思います。
ふたつ目は、村の共同体の歴史です。
調べてみると、ベトナムは稲作を中心とした農業社会として発展してきた国で、水田の耕作には水の管理や共同作業が不可欠だったとされています。一人では田を維持できず、村単位で助け合う必要があった。そこから、村や隣人を大切にする感覚が育っていったという説明を目にしました。ベトナム語にも、村と隣近所の情を表す言い回しがあります。
この話は、日本の農村にも通じるところがあります。私が「日本の田舎のような距離感」と感じるのは、案外的外れではないのかもしれません。似た条件の社会が、似た人間関係を作る。そう考えると納得がいきます。
三つ目は、生活が外に出ていることです。これは、住んでいると毎日実感します。
ホーチミンでは、生活のかなりの部分が路上で行われます。家の前に小さな椅子を出して座り、お茶を飲む。路地(ヘム)の中で子どもが遊び、大人が立ち話をする。食事も、家の中より外で済ませることが多い。暑い気候と、決して広くない住居。その条件の中で、生活が自然と屋外にあふれ出ています。
玄関が開いている家も多く、中の様子が外から見えます。日本の都市のように、玄関を閉めてしまえば誰とも関わらずに暮らせる、という構造になっていません。隣に誰が住んでいて、今日何をしているかが、だいたい分かってしまう。そういう物理的な環境が、人の距離を近いままにしているのだと思います。
すこし路地をはいるだけで、生活感のありすぎる風景
このことは、旅行者にとっても意味があります。生活が外に出ているということは、旅行者が現地の人の日常に接する機会が多いということです。塀の中で暮らす社会では、どんなに歩いても人の生活は見えません。ホーチミンでは、路地を一本入るだけで、人が食事をし、子どもが遊び、誰かが髪を切っている光景に出会います。わざわざ特別な体験を申し込まなくても、人の生活がそこにあるのです。
四つ目として、大家族のつながりの強さも関係しているように思います。
ベトナムでは、親族の結びつきが日本よりも濃く感じられます。多世代が同居していたり、近くに住んでいたりすることが多く、親戚同士の行き来も頻繁です。家族の集まりに、どこまでが親戚なのかよく分からない人まで混ざっていることもあります。
この「輪の広さ」が、外の人に対しても働くのだと思います。親族の輪が広く、そこに誰かが加わることに慣れている社会では、よく知らない人を一人招くことのハードルも低くなるはずです。ラオスの話とは国が違いますが、あのお兄さんが見知らぬ外国人を結婚のお祝いに誘えたのも、似たような感覚だったのかもしれません。
ここで、私自身の経験を書かせてください。この「距離の近さ」を、私は移住した初日に体験しました。
家族3人でホーチミンに移り住んだとき、最初に泊まったのはゲストハウスでした。数日だけそこに滞在して、その間に家を見つけて引っ越すつもりでした。
そのゲストハウスのオーナーは、とても優しいおばちゃんでした。当時、私の子どもはまだ1歳になっていませんでした。そのことに気づいたおばちゃんは、翌日にはベビーベッドを用意してくれていました。頼んだわけではありません。
それだけではありませんでした。近所の託児所を紹介してくれたのです。移住したばかりで、何がどこにあるかも分からない状態で、これは本当に助かりました。
結果として、数日の予定だったそのゲストハウスに、私たちは3ヶ月ほどお世話になりました。居心地が良かったからです。そして今でも、たまに挨拶に行く間柄が続いています。
振り返ると、私のホーチミンでの生活は、このおばちゃんから始まりました。街の情報でも、物件でもなく、人から始まったのです。第2章で書いたデタム通りの若者たちのことを思い出します。旅行者として来たときも、住人として来たときも、この街との縁は人から始まりました。たぶんそれは偶然ではなく、この街がそういう場所だからなのだと思っています。
第6章 旅行者が、人と出会うために ―― Faces of Travel という考え方
ここまで読んでいただいた方は、こう思われるかもしれません。それは分かるけれど、短い旅行で、どうやって人と出会えばいいのか。
ラオスのお兄さんの話も、デタム通りの若者たちの話も、7ヶ月の旅や長い滞在の中で起きたことです。3泊4日の旅行者が同じことをするのは簡単ではありません。もっともな疑問です。
そこで、現実的な方法を並べてみます。精神論ではなく、実際にできることです。
まず、ベトナム語を少しだけ覚えることです。これを最初に挙げます。効果がもっとも大きく、しかも誰にでもできるからです。
覚えるのは三つで十分です。挨拶の「シンチャオ(xin chào)」、お礼の「カムオン(cảm ơn)」、そして「ンゴーン(ngon)」。ンゴーンは「おいしい」という意味です。
この三つ目が、実はいちばん働きます。ベトナムでは食べ物が生活の中心にあり、食事の場面がとにかく多い。その場で「ンゴーン」と言えば、作った人、出してくれた人に、まっすぐ届きます。味の感想は、言葉が不自由でも成立する数少ない会話です。屋台のおばさんに向かって親指を立てながらンゴーンと言えば、それだけで何かが始まることがあります。
そして、これが何よりも大事なのですが、覚えた言葉は、できるだけたくさん使ってください。三つしか知らないのだから、その三つを何度も使うしかありません。一日に何十回でも構いません。店に入ったらシンチャオ、出るときにカムオン、何か食べたらンゴーン。それを滞在中ずっと繰り返す。
語学が上達する必要はありません。発音が正確である必要もありません。大事なのは回数です。たった三語でも、使った回数だけ、現地の人との接点が生まれます。覚えた単語を使わずに帰ってくるのが、いちばんもったいない。
余裕があれば、第5章で書いた呼び方を足してみてください。相手が年上の男性なら「アン」、年上の女性なら「チ」。「カムオン、チ」と言えば「ありがとう、お姉さん」になります。三語に、この一語が加わるだけで、ぐっと距離が縮まります。
二つ目に、路上の椅子に座ることです。ホーチミンには、低いプラスチックの椅子を並べただけのコーヒー屋や食堂が無数にあります。こういう店は席が狭く、自然と相席になります。隣の人との距離が近いので、何かのきっかけで会話が始まることがあります。きれいなカフェに入るのも良いのですが、人と接したいなら路上のほうが確率が上がります。
ベトナムの路上の距離の近さは日本の満員電車に匹敵するかも?
三つ目に、市場で値段以外の会話をひとつしてみることです。市場では、どうしても値段の交渉が中心になりがちです。そこで一言、これは何か、どう食べるのか、と聞いてみる。買う気がなくても構いません。ベトナムの市場の人は、説明したがる方が多いように感じます。
四つ目に、写真を撮る前に挨拶することです。これは相手への配慮という意味もありますが、それ以上に、挨拶したほうが面白い展開になりやすいからです。黙って撮れば、相手は被写体のままです。挨拶すれば、人になります。
補足として、座る場所の選び方にもコツがあります。路上の店で、いちばん奥の壁際に座ると、誰とも接しないまま終わります。通りに面した側、人の動きが見える位置に座ると、話しかけられる確率が上がります。同じ店でも、どこに座るかで経験が変わります。
それから、時間帯も関係します。混んでいる時間は、店の人も忙しくて会話になりません。少し空いている時間、たとえば昼食のピークを過ぎたあたりに行くと、相手に余裕があります。店の人が隣に座ってくる、ということも起こります。急いでいないときを選ぶ、というのは案外重要です。
五つ目は、私がいちばんおすすめしたい方法です。気に入った店に、滞在中もう一度行くことです。
旅行者はつい毎食違う店に行こうとします。限られた日数で多くを試したいのだから当然です。ただ、人と出会うという観点では、これは効率が悪い選択です。一度目は客として扱われます。二度目に行くと、店の人が気づきます。「また来たのか」という顔をされます。その瞬間に、関係が少し変わります。三泊四日の旅行でも、二度行くことはできます。これは、短い滞在で距離を詰めるもっとも簡単な方法だと思います。
この方法の良いところは、特別な努力がいらないことです。言葉を覚える必要も、勇気を出して話しかける必要もありません。ただ、もう一度同じ扉をくぐるだけです。それだけで、相手の側に認識が生まれます。人間関係というのは、たぶん回数でできているのだと思います。
私は、日本から来た方にこの話をするとき、「最後の朝食は、初日に行った店に戻ってみてください」とお伝えすることがあります。旅の最初と最後が同じ店になると、その店は旅の記憶の枠のような役割を果たしてくれます。そして二度目には、たいてい何かが起きます。
六つ目に、郊外や地方に出ることです。都市よりも、人との距離が近い傾向があります。メコンデルタの村や、地方の町では、外国人が歩いているだけで声をかけられることがあります。以前このメディアで現地ツアーについて書いたとき、郊外に出る価値について触れましたが、人との出会いという観点でも、郊外は有力な選択肢です。
七つ目に、人と話すことが前提になっている体験を選ぶことです。料理教室、バイクに乗せてもらうツアー、食べ歩きのツアー。こうした体験は、そもそも誰かと一緒に時間を過ごす構造になっています。名所を見るだけのツアーより、会話の量が圧倒的に多くなります。
この観点でツアーを選ぶときは、「何が見られるか」ではなく「誰と、どれくらいの時間を過ごすか」で比べてみてください。同じ料金でも、大人数のバスで名所を回るツアーと、少人数で市場を歩いて料理を作るツアーでは、人と接する量がまったく違います。前者が悪いわけではありませんが、目的が違えば選ぶものも変わります。
ネパールで国際交流料理会に呼ばれたときのことを思い出します。あのとき私たちがやったのは、市場で食材を買って、台所で料理を作って、一緒に食べる、ということだけでした。今のベトナムには、それとほとんど同じ構造の体験が、料理教室という形で商品になっています。偶然を待たずに、あの日と似た時間を過ごせるわけです。
そして八つ目に、ガイドという存在について書いておきたいと思います。
日本語ガイドのついたツアーに参加すると、多くの方はガイドを「説明してくれる人」として見ます。たしかにそれが仕事です。ただ、私がお伝えしたいのは別の見方です。ガイドは、その旅で最初に出会うベトナム人なのです。
一日一緒に過ごせば、説明以外の話もします。家族のこと、物価のこと、休みの日に何をしているか。ガイドブックに書いていないことが、そこから出てきます。実際、ツアーのあとで「いちばん面白かったのはガイドさんとの会話だった」という感想が成立するのは、不思議なことではありません。移動手段としてのツアーではなく、人と出会う手段としてのツアーという見方ができます。
ここで、私たちが取り組んでいることについて書かせてください。
ホーチミン観光情報ガイドでは、「Faces of Travel」という考え方を掲げています。
これは、旅行先の人々を、ただの背景や通行人として扱わないという方針です。旅先にいる人は、景色の一部ではありません。一人ひとりが名前と人生を持ったキャラクターであり、旅行者の旅を面白くしてくれるバイプレイヤーです。そう位置づけたい、ということです。
ここで、ひとつはっきりさせておきたいことがあります。バイプレイヤー、つまり脇役という言い方をするからには、主役がいます。その旅の主役は、旅をしているあなたです。
これは当たり前のようでいて、意外と大事な前提だと思っています。旅先の人を大切にしようという話は、ともすれば「現地の人の暮らしを邪魔しないように」「観光客は遠慮すべきだ」という方向に行きがちです。それも一面では正しいのですが、そこまで引いてしまうと、旅行者は自分の旅の主役でいられなくなります。
私たちが言いたいのは、その逆です。あなたの旅は、あなたのものです。あなたが行きたい場所に行き、食べたいものを食べ、やりたいことをやればいい。そのうえで、そこに登場する人たちを、背景ではなく一人の人物として見てほしい。名作映画の脇役がそうであるように、優れたバイプレイヤーは、主役の物語を何倍にも面白くします。
第3章で書いたことに戻ります。観光地を見ているあいだ、旅行者は観客です。ところが誰かと関わった瞬間、自分がその場の一員になります。主役になるというのは、つまりそういうことです。客席から降りて、自分の物語を動かす側に回る。そのとき隣にいてくれる人が、バイプレイヤーなのだと思います。
具体的には、スタッフやガイド、そして街のお店の人たちを、メディアを通してきちんと紹介していきます。どんな人がいて、どんなことを考えていて、どんな話をしてくれるのか。それを事前に知ることができれば、旅の目的に「あの人に会いに行く」という項目が加わります。
考えてみると、これは旅行情報の形としては、あまり一般的ではありません。普通の旅行情報は、場所とモノを紹介します。この店は何が美味しいか、この観光地では何が見られるか、この宿はどこが快適か。主語はいつも、場所や商品です。人が出てくるとしても、「親切なスタッフが対応します」といった顔のない説明にとどまります。
私たちがやりたいのは、その逆です。場所の説明の中に人を添えるのではなく、人を主語にして場所を語りたい。この店には誰がいて、その人はどういう経緯でこの店をやっていて、どんな冗談を言う人なのか。そこまで伝われば、読んだ人はその店を「情報」ではなく「知っている人がいる場所」として認識できます。
なぜそうしたいのかというと、第3章で書いた話に戻るからです。旅の記憶に残るのは人であり、人との出会いだけが自分だけの経験になります。だとすれば、旅行情報が本当に届けるべきものは、営業時間や値段のリストではなく、そこにいる人の情報なのではないか。そう考えています。
この記事で私が書いてきたことは、つまりこの考え方そのものです。私の旅の記憶に残っているのは、ラオスのお兄さん、ネパールの台所に集まった人たち、デタム通りの若者たち、ターバンを巻いていた三人のおじさん、そしてベビーベッドを出してくれたおばちゃんでした。全員が、私の旅のバイプレイヤーです。
旅行者が現地の誰かと出会うことは、運に左右されます。それは確かです。ただ、出会う確率を上げる工夫はできますし、最初の一人を用意しておくこともできます。私たちがやろうとしているのは、その準備です。
ラオスのお兄さんのような出会いを、商品として用意することはできません。あれは偶然であり、偶然だからこそ価値がありました。用意された感動は、感動ではなくなってしまいます。
できるのは、きっかけを作ることだけです。その街に知っている顔が一人いれば、二人目は自分で見つけられます。ガイドと一日過ごして、その人がベトナム人という存在を抽象的なものから具体的な人間に変えてくれれば、翌日に屋台で隣に座った人への接し方も変わるはずです。最初の一人は、その後の出会いへの入り口になります。
そういう入り口を増やしたい。それが、Faces of Travel という言葉で私たちが考えていることです。
第7章 出会いを深めるためのコツと、正直な注意点
最後に、実際に人と関わるときに知っておくと役に立つことを、良い面も注意点も含めて書いておきます。
まず、呼び方です。第5章で書いたとおり、ベトナムでは相手を親族名称で呼びます。旅行者がすべてを使い分ける必要はありませんが、二つだけ覚えておくと便利です。自分より年上らしい男性には「アン(anh)」、年上らしい女性には「チ(chị)」。迷ったら、少し若めに見立てて呼ぶほうが、相手は悪い気がしないようです。店員さんを呼ぶときにも使えます。
整理すると、使い分けの目安はこうなります。自分と同年代から少し上に見える男性は anh、女性は chị。自分よりはっきり年下に見える相手には em(エム)。親の世代にあたる年配の女性には cô(コ)、男性には chú(チュー)。祖父母の世代には bác(バック)や ông(オン)、bà(バー)を使います。細かく覚える必要はありませんが、anh と chị に加えて cô と chú を知っておくと、たいていの場面はしのげます。
使い方は簡単です。言葉の最後に付けるだけです。「シンチャオ、アン」で「こんにちは、お兄さん」。「カムオン、チ」で「ありがとう、お姉さん」。これだけで、ただの挨拶が、相手に向けた挨拶になります。相手が明らかに年配なら「コ(cô)」や「チュー(chú)」を使いますが、判断が難しければアンとチで大きな問題にはなりません。
ベトナム語の発音は、日本人にとって簡単ではありません。声調があるため、正確に発音しないと通じないこともあります。ただ、ここで伝えたいのは語学の話ではありません。通じなくても構わないのです。相手を親族の呼び方で呼ぼうとしたという事実のほうが、意味を持ちます。実際、発音が怪しくても、たいていは笑って受け取ってくれます。
年齢を聞かれても、驚かないでください。失礼な意図はなく、呼び方を決めるための確認です。答えたくなければ、だいたいの年代を言えば十分です。
おせっかいへの対応も書いておきます。ベトナムでは、頼んでいないのに手や口を出してくれる人がいます。日本の都市で暮らしていると、最初は戸惑うかもしれません。ただ、これは好意である場合がほとんどです。断る必要がなければ、笑って受け取るくらいが、ちょうどいい距離感だと思います。
関連して、日本人が気をつけたほうがいいと思うことがあります。遠慮が、必ずしも美徳として伝わらないという点です。
日本では、相手に負担をかけないように断ることが礼儀とされる場面が多くあります。ところが、ベトナムでは、好意を断られると単純に残念に思われることがあります。「気を使わせたくないから断る」という日本的な配慮が、そのまま伝わるとは限りません。もちろん無理に受ける必要はありませんが、受けられるものは受けたほうが、関係は前に進みやすいと感じます。
子ども連れの旅行についても触れておきます。小さなお子さんと一緒にベトナムを旅行すると、声をかけられる回数が一気に増えます。知らない人が子どもに話しかけ、頭をなでていくこともあります。日本の感覚では驚くかもしれませんが、これは子どもを大事にする社会のふるまいです。私自身、子どもを連れて歩いていて、この国の人の温かさをいちばん強く感じました。人と出会いたいなら、家族旅行は実はかなり有利です。
連絡先の交換については、ベトナムではZalo(ザロ)というメッセージアプリが広く使われています。日本でいうLINEのような位置づけで、ベトナム国内で開発されたアプリです。年配の方から若い人まで、ほとんどの人が使っています。日本から来た方は、まずLINEを提案しがちですが、ベトナムでは普及していません。仲良くなった相手と連絡先を交換するなら、Zaloを入れておくのが確実です。電話番号があれば登録でき、日本の番号でも使えます。Facebookも一般的で、こちらで友達申請を受けることもよくあります。もし仲良くなった方がいたら、その場で交換しておくと、後からお礼を伝えることもできます。
お礼の仕方については、難しく考えなくて大丈夫です。何かをごちそうになったら、次に会ったときに何かを返す。それだけで十分です。日本から小さなお土産を持っていくと役に立つ場面もありますが、必須ではありません。
ここから、正直な注意点です。
親切と商売は、見分ける必要があります。残念ながら、親しげに近づいてきて、最終的に高い買い物や不要なサービスに誘導する人もいます。見分け方として確実なものはありませんが、いくつか目安はあります。向こうから積極的に声をかけてきて、すぐに場所の移動を促す場合は、慎重になったほうがいいでしょう。逆に、自分が座っている場所で自然に始まった会話は、商売ではないことが多いように感じます。
もうひとつの目安は、相手が何かを売る立場にいるかどうかです。観光地の入口や有名スポットの周辺で、流暢な日本語や英語で話しかけてくる人には、仕事としてそうしている可能性があります。一方、路地のコーヒー屋で隣に座っていたおじさんが話しかけてくる場合、売るものは何もありません。人が集まる観光地よりも、生活の場のほうが、純粋な会話が生まれやすいというのが私の実感です。
ただし、警戒しすぎるのも惜しいと思います。ベトナムで声をかけてくる人の多くは、本当にただ話したいだけです。全員を疑っていると、第2章で書いたような出会いの機会を、自分から閉じてしまうことになります。警戒したいのは、お金や移動が関わる場面に加えて、個人情報を聞かれたとき、出どころの分からない飲食物をすすめられたとき、そして知らない人から人目のない私的な場所に誘われたときです。こうした場面では、はっきり断って構いません。立ち話や、人の多い場所での会話であれば、構えずに応じていいと思います。
断り方も覚えておくと楽です。はっきり「ホン(không、いいえ)」と言って、そのまま歩き続けるのが確実です。曖昧な態度はかえって話を長引かせます。冷たいように感じるかもしれませんが、必要な線引きです。
写真とSNSについても配慮が必要です。人を撮るときは、ひとこと断りましょう。そして、顔が写った写真をインターネットに載せる場合は、相手がそれを望むかどうかを考えてください。旅行者にとっては一枚の思い出でも、写っている人にはその後の生活があります。断りを入れるのは、ほんの数秒のことです。カメラを指して、うなずいてもらえれば、その場で撮ることの了解は取れます。たいていの場合、快く応じてくれますし、その一往復がきっかけで会話が始まることもあります。
ただし、撮ってよいという了解と、それをインターネットに載せてよいという了解は、別のものです。その場で撮影を許してくれた人が、自分の顔が世界中から見られる場所に出ることまで想定しているとは限りません。SNSやウェブサイトに顔が写った写真を載せるつもりなら、その点も含めて改めて確認してください。確認が難しい場合は、顔が判別できない構図にするか、公開を見送るのが安全です。
それから、写真を撮ったら見せてあげてください。デジタルカメラやスマートフォンなら、撮った直後に画面を見せられます。これは、思っている以上に喜ばれます。撮られるだけで終わるのと、一緒に画面を覗き込むのとでは、その数十秒の性質がまったく変わります。撮影が、一方的な行為から共同作業に変わるからです。
万が一のための連絡先も、出発前にスマートフォンに保存しておくことをおすすめします。人と関わる旅をするなら、備えがあるほうが、かえって大胆になれるからです。
ベトナムの緊急通報番号は、警察が113番、消防が114番、救急が115番です。いずれも全国共通で、24時間つながります。ただし、基本的にベトナム語での対応になるため、日本語や英語が通じるとは限りません。緊急時には、ホテルのフロントや近くにいる人に代わりに通報してもらうほうが、現実的な場合が多いと思います。
日本人が関わる事件・事故や、パスポートの紛失といった場合の窓口が、在ホーチミン日本国総領事館です。公式サイトによると、所在地は261 Dien Bien Phu Street, Xuan Hoa Ward, Ho Chi Minh City、代表電話は028-3933-3510(日本からかける場合は+84-28-3933-3510)です。執務時間は月曜から金曜の8時30分から12時、13時から17時15分まで(祝日を除く)とされています。夜間や休日は留守番電話になりますが、人命に関わる場合や緊急の事情がある場合は、音声案内に従って番号を押すと緊急対応の担当者につながる、と案内されています。
あわせて、外務省の海外安全ホームページと、渡航登録サービス「たびレジ」も確認しておくとよいと思います。たびレジに登録しておくと、滞在先の安全情報がメールで届きます。短期の旅行でも登録できます。
なお、ここに挙げた番号や住所、営業時間は変わることがあります。実際に渡航される前に、総領事館の公式サイトと外務省の海外安全ホームページで、最新の情報をご確認ください。
最後に、期待しすぎないことも大切だと思います。この記事では人との出会いの素晴らしさを書いてきましたが、すべての旅行で劇的な出会いがあるわけではありません。何も起きない滞在もあります。それは失敗ではありません。人との出会いは、狙って必ず手に入るものではないからこそ、起きたときに特別なのだと思います。
私自身、何度も旅をしてきましたが、ここに書いたような出会いは、全部の旅行で起きたわけではありません。誰とも話さずに終わった街もたくさんあります。7ヶ月の旅の中で、強く記憶に残っている出会いは、数えるほどです。確率としては、決して高くありません。
ですから、気負わないでください。出会いを探しに行くというより、出会う余地を残しておくくらいの構え方がちょうどいいと思います。予定を少し緩めておく。路上の椅子に座る時間を作る。話しかけられたら応じてみる。それだけで十分です。あとは、その旅がどうなるかに任せてしまえばいいのだと思います。
もし、どこで何をすればいいか迷ったら、気軽にご相談ください。ホーチミン観光情報ガイドでは、現地の日本人スタッフが、LINEを通じて日本語でお店やツアーの相談・予約を承っています。「地元の人が多い店に行ってみたい」「人と話せるような体験がしたい」といったご相談も歓迎です。そして、これもひとつの出会いだと思っていただければ嬉しいです。
エピローグ ―― あなたの旅にも、誰かがいます
この記事を最後まで読んでくださった方に、ひとつだけお伝えしたいことがあります。
7ヶ月の旅から、長い時間が経ちました。あのころ見た建物や山や海のことは、今でも覚えています。写真も残っています。それらは、確かに私の財産です。
それでも、折に触れて思い出すのは、やはり人のほうでした。
ピックアップトラックの荷台で隣に座っていたお兄さん。ネパールの台所で一緒に料理をした人たち。デタム通りで同席した若者たち。ターバンを巻いていた三人のおじさん。そして、ベビーベッドを出してくれたゲストハウスのおばちゃん。
全員、有名な人ではありません。観光ガイドに名前は載っていません。ほとんどの人と、もう連絡も取れません。それでも、私の旅を「私だけの旅」にしてくれたのは、この人たちでした。
もしこれからベトナムに来る予定があるなら、ぜひ、人と出会ってきてください。構える必要はありません。路上の低い椅子に座る。市場で一言聞いてみる。気に入った店に、もう一度行く。ガイドに、ベトナムでの暮らしのことを聞いてみる。それくらいのことで十分です。
名所を見て、美味しいものを食べて帰る旅も、もちろん素晴らしいものです。そこに、誰かとの会話がひとつ加わるだけで、その旅はあなただけのものになります。
ポップアップオフィスで旅行者の皆さんと直接会話したことはスタッフにとっても良い経験
そして、これは相手にとっても同じなのだろうと思います。ラオスのあのお兄さんは、荷台で会った日本人のことを覚えているでしょうか。たぶん覚えていないと思います。それでいいのです。ただ、もしかしたら、どこかで思い出してくれているかもしれません。旅の出会いは、一方通行のようでいて、案外双方に残るものなのかもしれません。
そして、何年か経ったとき。あなたが思い出すのは、たぶん写真に写っている建物ではなく、そのとき隣にいた誰かの顔なのではないかと思います。
この記事について ―― 筆者・運営者と情報源
この記事は、ホーチミンに14年ほど住み、現地で旅行の手配に携わってきた筆者が、自分の体験に加えて、公開されている資料を調べたうえでまとめたものです。
本文に書いた出会いは、すべて筆者が実際に経験したことです。若いころのバックパッカー旅行(7ヶ月の長期旅行を含む)で訪れた各地での出会い、1998年に旅行者として初めてベトナムを訪れたときのこと、そしてホーチミンに家族で移住した初日からの経験が、この記事の土台になっています。一方で、感想や考察の部分は、あくまで筆者個人の見方です。
ベトナム語の親族名称(anh、chị、em、cô、chú、bác など)が他人に対しても使われることや、初対面で年齢を確認する習慣については、ベトナム語の文法解説や言語に関する資料を参照しました。稲作を中心とした農業社会と村落共同体の関係についても、公開されている文化・社会に関する解説を参考にしています。これらの背景については諸説あり、本文では代表的とされる説明をもとに記述しました。
「ベトナムの人たちが自国の良さとして人を挙げる」という記述は、統計調査ではなく、筆者がこれまでベトナムの人たちと接してきた中での実感にもとづくものです。また、本文中でも触れたとおり、ある国の人々の性質を一般化して語ることには限界があります。実際には個人差が大きく、地域や世代によっても異なります。その点はご理解のうえ読んでいただければと思います。
本記事は、ホーチミンの観光・グルメ・スパ・ツアー情報を現地から発信する「ホーチミン観光情報ガイド」が運営・掲載しています。現地の日本人スタッフが、ツアーやお店の予約・相談を、LINEで日本語にて承っています。記事の内容に誤りや古い情報を見つけられた場合は、サイトのお問い合わせからお知らせいただければ、確認のうえ修正いたします。


