雑然の中にあった人の温かさ
ホーチミンに住んで10年以上になります。初めてこの街に来たころ、ホーチミンにはまだ混沌とした活気があふれていました。チェーンのレストランやコンビニはほとんどなく、街のお店はほぼ個人商店。軒先では人々がのんびりと商品を並べ、路上にはセオム(バイクタクシー)やシクロの運転手が客待ちをしていました。少し歩くだけで「乗らない?」と声をかけられるのが当たり前。
夕方になると公園や歩道には人が集まり、運動をしたり雑談をしたり――街全体が人のぬくもりで包まれていた時代でした。
近代化の波と変わる街の風景
それから10年。ホーチミンは劇的に変わりました。街の中心部には高層マンションやオフィスビルが立ち並び、スターバックスやハイランズコーヒーなどのチェーン店が次々にオープン。メトロが開通し、道路には自家用車が増え、コンビニはもう珍しくありません。
10年前にはほとんどなかったセブンイレブンやミニストップが、今では至るところにあり、ホーチミンの“便利な暮らし”を象徴しています。
一方で、歩道を占領していた路上屋台や、路上で客待ちしていたセオムの姿はめっきり減りました。あの雑然とした、エネルギーに満ちたホーチミンの光景は、少しずつ整理され、整った都市の姿へと変わっています。
サイゴン橋の向こうに広がる新しい街並み
街の変化を最も強く感じるのが、サイゴン橋を渡る瞬間です。
かつては低い建物が並んでいた橋の向こうの道路沿いには、いまや無数の高層マンション群が立ち並びます。夜になると窓の明かりが一斉に灯り、まるで別世界のような光景。
そこに映し出されるのは、ホーチミンがどれだけ豊かになり、人々の生活水準が上がったかということ。川の向こうに広がる新しい街は、この10年の発展を象徴する風景になりました。
便利さの中にある小さな寂しさ
街が発展する一方で、失われたものもあります。
ご近所づきあいのような日常的なつながりは、以前よりも少なくなりました。道で顔を合わせれば自然に挨拶を交わし、困っていれば誰かがすぐに助けてくれた――そんな人の温かさが、近代化の中で少しずつ薄れていったように感じます。
とはいえ、ホーチミンの人たちの親しみやすさはまだ健在です。
常連になったカフェではスタッフが名前を覚えてくれ、ローカルの食堂では「また来たね」と笑顔で迎えてくれる。効率化が進む一方で、こうした“人の温度”がまだ確かに残っているのが、ホーチミンという街の魅力です。
未来への期待と、変わらない願い
この先、ホーチミンがどんな街に変わっていくのかは、正直なところ誰にも分かりません。メトロの延伸、都市開発、新しい高層マンション群――街はさらに近代化し、豊かさを増していくでしょう。
けれど、10年前に濃い人間関係を築いてきたこの街の人々が、便利になったからといって急に変わってしまうとは思いません。むしろ、現代的な暮らしの中でも、新しい形のコミュニティや人とのつながりが生まれていくのではないでしょうか。
混沌とした時代を知る者として、そして今のホーチミンを生きる者として、私はこの街の変化をこれからも見つめ続けたいと思います。
便利でモダンな都市へと変わっていく一方で、人の温かさと笑顔だけは、どうかこれからも変わらずに残っていくんじゃないかな〜と思っています。