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台所から始まるテト― 私が先に春を感じる場所
私はメコンデルタ(Đồng bằng sông Cửu Long)で育ちました。川が入り組み、緑の果樹園が広がり、ゆったりとした穏やかな時間が流れる場所です。そこでは、年末になると時間がいつもよりゆっくり進むように感じられます。テト(Tết)が近づくと、家族は普段より外出を控えるようになります。遊びに出かけたり買い物をしたりする代わりに、新年のための料理を準備する時間を家で過ごします。台所はいつもより忙しくなり、調理道具が多く並び、人々の会話も自然と増えていきます。子どものころ、私はなぜ料理の準備がこれほど大切な行事のように扱われるのか不思議に思っていました。ただ食べ物を作るだけなのに、なぜ皆がこんなにも丁寧で真剣なのだろうと感じていたのです。後になって、その準備の時間こそが本当の新年の始まりなのだと分かりました。
バインテト(Bánh Tét)と家族の会話
数ある料理の中でも、テトのたびに私がいちばん思い出すのはバインテト(Bánh Tét)です。もち米、緑豆、豚肉を使い、時にはバナナも入れます。材料をバナナの葉でしっかり包み、長い棒状にして何時間も煮続けます。テトの食卓をより華やかにするため、もち米は植物の色素で色付けされることもあり、完成したバインテットは色とりどりになります。子どものころ、私は夜通しバインテトの鍋を見守るのが楽しみでした。祖父母は昔、生活が苦しかった時代のテトの話をし、両親は新しい一年の計画を話します。私は眠気を感じながらも、翌朝が特別な日になると分かっているのでわくわくしながらその話を聞いていました。静かな夜に火が絶えず燃え、鍋の湯が静かに音を立てる様子は、旧年が終わりに近づいていることを知らせるようでした。だから私にとってバインテトは、米作地帯と深く結びついた食べ物であるだけでなく、家族が新年を迎える前に少し長く一緒に過ごすための存在でもあります。元日の朝、最初の一切れを切るたびに、私は自分の記憶の一部を切り分けているような気持ちになります。
ベトナム風豚の角煮 ― 新年への穏やかな願いの味
バインテトと並んで、テトの時期の台所の中心にあるのが、豚肉と卵をココナッツウォーターで煮た料理です。メコンデルタはココナッツが多く、新鮮なココナッツウォーターをそのまま使って煮るため、強い調味料を使わなくても自然な甘さが出ます。豚肉は大きな角切りにされ、何時間も煮込まれて柔らかくなり、保存もしやすくなります。ゆで卵は煮汁を吸って茶色くつやのある色になります。この料理は、テトの数日間に食べられるよう多めに作られます。生活のリズムがゆっくりになり、市場が一時的に休むためです。私にとってこの甘みは、新年を穏やかに過ごせるようにという願いを表しています。鍋のふたを開け、湯気と濃い色の煮汁を見たとき、私は新年の温かい空気と、家族が料理に込めた平穏への願いを感じます。
苦瓜の肉詰めスープ ― 願いが込められた料理
もう一つ、私にとって印象深い料理は苦瓜の肉詰めスープです。苦瓜は中をくり抜き、ひき肉を詰めてスープにします。子どものころから印象に残っているのは、この料理の名前の意味について大人が話していたことです。「苦瓜(khổ qua)」は「苦しみが過ぎ去る」という意味があると言われています。そのため、新年の初めにこの料理を食べることは、昨年の困難が終わるよう願う気持ちにつながっています。ここでは料理が味覚だけでなく、言葉や信仰とも結びついていることが分かります。温かいスープのほのかな苦みとだしの甘みは、人生の困難を受け入れたうえで、より良いことを願う人の姿と重なります。
テトのあとに残るもの
今では生活は大きく変わりました。何もかもが速くなり便利になり、テトも私が子どもだったころとは違っています。多くの料理を買って済ませることができ、何時間も台所に座ったり、夜通し鍋を見守ったりすることも少なくなりました。年末に家にいないこともあり、そのときは両親から、準備が今はもっと簡単で手早くなったと聞くだけです。そんなとき、私は心の中に何か足りないものを感じますが、それが何なのかうまく言えません。後になって分かったのは、私が恋しく思っているのは料理そのものではなく、家族が急がず一緒に同じことをしていた時間だということです。私にとってテトの味は舌の上だけにあるのではなく、笑い声や会話があり、家族の一員であると感じられた温かい台所の記憶の中にあります。テトが時代とともに変わっても、その光景は新年が来るたびに私の中によみがえります。
